10年近く斜に構えてみて気付いたこと

ゴールデンウィーク前半のイベントを消化し暇を持て余した俺はふとInstagramで地元の中学の同級生のアカウントを探っていた。

 

久し振りにインターネット上で一方的に再会した同級生達は、みんな友人達に囲まれながら結婚したり仕事で遠く離れた場所に移住したり各々の人生を円滑に歩んでいた。

彼らとは中学の時まではお互いの家を行き来したりくだらない話をし合っていたのにいまではInstagramのアカウント上でフォローもしないままただ彼らの生活を眺めるくらいの関係性しかない。

 

何故そうなってしまったのかと言うと、高校進学時にみんなは少し都会の高校へ、俺は受験を失敗して地元の高校に進学した。都会の高校で楽しそうに高校生活を送り自分の目標に向かって前進する彼らを見て高校生活に馴染めてなかった俺はひたすらに捻くれ、斜に構え、ダウンタウン銀杏boyzに傾倒し、自分を松本人志峯田和伸と重ねて、自分のこの鬱屈とした心はいつか何かの糧になると信じて、松本人志峯田和伸と程遠い彼らの行動を軽率だと笑い見下した。

そういう俺の態度が原因なのか単に距離的な問題か自然と彼らとの交流も月日が経つにつれ希薄になっていた。

大学に入ってからも相変わらず俺は捻くれいわゆる「リア充」を蔑み続け、意味不明に留年して風俗に通い嬢の高速手コキによっておちんちんが炎症した。

 

そんなクソみたいな生活がずっと続くと思っていたが、社会人になってから環境の変化もあり。

友人ができたり、彼女ができたりした。

友人や彼女ができた事でこれまでの人生には無かった事をこの2年間で幸運にも色々と経験できた。

フェス、バーベキュー、旅行、スノボー

これまで自分が蔑んでいた「楽しさ」を一通り体験して気付いた。

結局の所、俺はこういう類の「楽しさ」がひたすらに羨ましかっただけだった、俺の中のダウンタウン的なものや銀杏boyz的なものはその「楽しさ」を味わう事が出来ない自分への慰めでしかなかったんだと。

リア充」は軽率な人間ではなく、人間関係を諦めずに努力してきた人間達なんだと。

俺はこれまでずっと自分の事を松本人志峯田和伸と同じだと思い込んでいたけど、俺は普通の何一つ特別ではない普通にフェスやバーベキューを楽しめるただの人間関係における努力を諦めてきた人間だった。

Instagramで久し振りに再会した彼ら彼女らは思えばみんな「いい人」だった。素直で健康的で俺みたいな人間にも笑顔で接してくれていた。

俺が蓋をしなければいまでも彼らと交流があってこのInstagramのどこかに自分の写真が載る可能性だってあったし、何よりも掛け替えのない友人になっていた可能性だってあった。

俺はいまこれまでの自分が捨ててきた可能性に目眩がしている。

松本人志になるよりも峯田和伸になるよりも大事にしなくてはならない事がこの世には山程あった。

 

このブログは別にだから君達も人生を楽しく送る為に斜に構えるのを辞めなさいとか言いたいわけじゃない、結局リア充自慢かよとか思われるかもしれないが、ただ最近この事に気付いてしまった俺が懺悔に近い様な思いで心情を吐露しているだけだ。

先月このInstagramの地元の友人から結婚式の招待が来た。

俺はただの普通の人見知りの馬鹿な人間だから、この事実に気付いた所でそんなに上手く立ち回れるとは思わないけど、結婚式に参加したら何一つ斜に構える事なく真っ直ぐに友人の結婚を祝いたいし、昔みたいにまた話したい。

 

PS.「リア充」はもしかしたらもう死語かもしれないけど語彙がないので許して下さい。